温故知新から学ぶ

2006.05.17 Wed

温故知新から学ぶ ~第3章 前編 先ず隗より始めよ(まずかいよりはじめよ)~
こんにちはっ!おさむっくです。ここ数日雨天が続いておりましたが、今日は爽やかな
五月晴れ♪気持ち良いですね。
温故知新から学ぶ第3章解禁です。(解禁って。。。ボジョレーヌーボですか・・・汗)
序章を含め4連載目となります。(下手すると序章で連載終了するとこでした。。。大汗)
さすがに3回も連載させると続けていきたくなりますね。今では、連載に連載を重ね、
ゆくゆくはサザエさんやドラえもんと肩を並べる茶の間のアイドルおさむっくを目指しております。・・・ぷぷっ(苦笑)
さて、しょうもない前置きが長くなりましたが本題に入らせて頂こうと思います。
題名の「先ず隗より始めよ(まずかいよりはじめよ)」ですが、耳にされたことがある方もいらっしゃると思います。
でも耳にされたことがないという方の方が多いのでは、、、歴史が好きな方は1度は目にしたことがありますよね。
『史記』という、紀元前に実存した人々の生き様を描いた物語があることは多くの方がご存知かと思いますが、その物語の中で出てきた名言のひとつです。
※余談:「史記」には多くの名言が記されており、今でもよく使われるものがたくさんあります。例えば、『牛汁』・・・あ、間違えた『牛耳る(ジュウジル)』という単語も、『完璧』という単語も、『蛇足』も「史記」から生まれたものです。熟語で言うと、かの有名な『風林火山』、『切磋琢磨』、『臥薪嘗胆』などがあり、一文では『三年飛ばず鳴かず』、あとは『一を聞いて十を知る』、そして『日暮れて 道遠し』、そしてそして『人間万事塞翁が馬』・・・ってこれは多分知らないと思いますが。。。とまぁこんな具合に素晴らしい物語であると共に名言集でもあるわけです。余談終わり
実は、私おさむっくは歴史物が大好きです。特に「史記」に関しては座右の書(ザユウノショ)的な存在です。
私の感じる「史記」のおもしろさは、“何度読んでも新鮮な気持ちで楽しめる”という所です。
というのは、「史記」は実に多くの人物が登場します。多くの人間が、各々の状況において、色々なことを感じ、様々な行動をとり、その結果を生み出します。
当然いつみても物語自体は変わりません。しかし、自分自身はといえば、同じ人間で同じ自分自身でありながらも、同じ環境、同じ心境、同じ局面にありません。常に何かしらが変わり続けるなかにいます。だから「史記」はいつ読んでも新鮮に楽しめるのです。その時その時の自分に、その時必要な教訓を与えてくれます。ある意味、私は史記を通して自分自身の変化(成長!?)を知り、その変化によって史記の深みを感じ取ることが出来、それで更に変化(成長!?)する、と言っても・・・それはちと過言ですね。。。(謝)
・・・(汗)「本題に入りましょう」と言ったまま直進で脇道に入るのも我ながらどうかと思いますが。。。
「先ず隗より始めよ」という言葉の意味を理解して頂くために「史記」に出てくる物語を簡単に分りやすく、かなり端折(はしょ)って書かせて頂きたいと思います。(その程度にしか書く知識がないだけなのですが。。。)
紀元前4世紀末頃の中国でのお話しです。その昔、燕(えん)という国がありました。燕の王様を昭王(しょうおう)といいました。昭王は、国の力をつけなければ世の中を生き残っていけない、そのためには自分を支えてくれる
優れた人物を集めなければいけないと思い、いつも王様を影ひなたで支えてくれる郭隗(かくかい)という人に相談しました。 郭隗は知識人ではありましたが、世の中に知れ渡るほどの人ではありませんでした。それは 郭隗自身が
よくわかっていました。 郭隗は昭王の相談を受けてこんな話しをしました。
「昔、ある王様が千金を出して1日に千里(約4000キロ)を走る名馬を買おうと思いましたが、3年たっても見つける事ができません。すると、ある男が進み出て、「私が買ってきましょう」と申し出たので、その男に千金を渡して買いに行かせました。ついにその男は千里の馬を見つけました。が、惜しくもその馬は一足違いで死んでしまっていました。すると、血迷ったのかその男は、死んだ馬の骨を千金の半分の五百金で買って戻ってきました。王様は、死んだ馬に五百金も出して買ってきたことを怒りました。しかし、その男は言いました。      ~後編につづく(5/19頃解禁)

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