おさむっくある日のつぶやき 続編

2006.10.02 Mon

極端な話し、「安楽死」は自殺幇助(自殺の手助け)です。
安楽死は寿命ではない人間の命を絶つのですから。。。
これに対して「尊厳死」は『自然死の尊重』と私おさむっくは考えます。
生命維持装置や人工呼吸器といった延命措置を講じていなければ死んでしまう人。
その人が延命措置を拒絶し、自然のままの死を受け入れる。これが尊厳死ではないでしょうか。
人間の寿命はいつでしょうか。意識もなく寝たきりでも延命措置により心臓だけが動いていて、それが止まった時が寿命でしょうか。
それともやはり、自然のままに生きることが出来なくなった時、それが寿命でしょうか。
延命措置の国の予算が年間およそ1兆円かかっております。
本来の人間の「生と死」とはどのようなものでしょうか。
私は延命措置が悪いとか、延命措置にそんなにお金をかけるなとか言っている訳ではありません。
実際、私の叔父は寝たきりで延命措置を受けている状態です。
だから、意識もなく寝たきりで延命措置により心臓が動いているだけでも、血のつながった家族が生きているというだけで心の支えになっている人がたくさんいることもわかります。
ただ、ふと思うことはあります。それは、あくまでも自分勝手な考えなのではないか、実は当の本人は何も言わない、何も伝えないだけで日々苦しんでいるのではないかと。。。
そう思ったとき、人の死自体が人間の手によって歪められてしまっているような気がするのです。
人は死すべき時に死ぬのが一番良い、とよく聞きますが、延命という手段がある現代となっては「いつが死すべき時なのか」自体がわからない。
そして、尊厳死として延命を止めた病院、医師が世間から告訴される、そんな世の中です。
歪んでいるとは思いませんか。
・・・実のところ、これを「歪んでいる」という表現を使うべきなのかどうかはわかりません。
ただ、現代とはそういう世の中なのだろうとおさむっくは思った訳です。

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